ラファ先生はレタスを愛しすぎて少し間違う
なにか用なのか
ラファ先生は、本当にレタスが大好きで、愛しているため、
「せんせーい、レタス食べるう!?」
と、呼ぶと必ず
「うーん!」
と言いながら走ってくるので、不思議ながらに笑ってしまうのでございます。
今日は、ラファ先生の晩御飯のあと、忘れていたようなタイミングで、というか、ホントに忘れてたんですけど、急にレタスを差し上げたところ、あまりにも嬉しすぎたのか、間違えておでこをレタスにすりつけていました。
いやいや、先生、お口でお願いしますよ。
ねこは、甘える対象にまろい額をすりつけるというカワイイ生き物ですが、レタスは先生、なんというか、食べ物ですから。
あたしが愛する八州の味噌煮込みうどんにおでこつっこむようなもんですから。
やけどしますから。
でも、ラファ先生は二度三度とレタスに額をすりつけ、大好きと伝えていたのでございます。
うん。
あたしもこんど、味噌煮込みうどんにおでこすりつけるんじゃなくて、大好きである旨を言葉で告げてから食べるよ。
そしてですね。
絶歌を読みました。
神戸連続児童殺人事件については、当時から書籍がたくさん出版されており、何冊か読んでおりました。
それから何年も経ち、この、当事者が書いた一冊の本に対して、人は本当にいろいろな激しい思いを抱かざるを得ないと思うのですが、あたしが抱いた激しい思いは、やはり悲しさでございました。
こんなに悲しい状態が、何故生まれなければならなかったんだろうといった問いに当時の関連書籍は答えを持たず、今回の、本人が記したものにさえ、答えなんて無かったのでございます。
この本で「答え」として書かれていたものは、ただひとつでございました。
人殺しはいけない。
でも、何故いけないの?
という問いに、人は様々な回答を持っているのかもしれないし、明確に即答できる人がこの世に何人いるかはわかりませんが、作者は自分の欲望を唯一の理由として人を殺し、そんな誰のせいにもできない理由を持っているからこそなのか、
例えば何故と今問われたら、絶体に絶体に殺人なんてしないでください。あなたが思ってる以上にあなた自身が苦しむことになるからと答える。
と書いていて、あたしには、作者がこの数行の「答え」を書きたいが為に他の全てのページを費やしたように思えたのでございます。
曽野綾子さんの本に、人の痛みは他の人には絶体にわかりようがない。その人が痛いと言えばそこに痛みは間違いなくあるのだ。というような一文がありますが、作者と作者の家族のそして被害者サイドの、それこそ想像を絶する痛みのみが存在する本でした。